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シャルル・ド・ヴァロワ (オルレアン公) : ミニ英和和英辞書
シャルル・ド・ヴァロワ (オルレアン公)[こう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

シャルル・ド・ヴァロワ (オルレアン公) : ウィキペディア日本語版
シャルル・ド・ヴァロワ (オルレアン公)[こう]

シャルル1世・ド・ヴァロワ(Charles Ire de Valois, duc d'Orléans, 1394年11月24日 - 1465年1月5日)は、フランスの王族。オルレアン公シャルル・ドルレアン(Charles d'Orléans)とも呼ばれる。ヴァロワ家傍系ヴァロワ=オルレアン家の当主で、オルレアン公ルイ・ド・ヴァロワ(フランス王シャルル6世の弟)とヴァレンティーナ・ヴィスコンティの第4子。シャルル5世の孫であり、ルイ12世の父である。詩人として知られる。
1406年、シャルル6世の長女で従姉にあたるイザベルイングランド王リチャード2世の未亡人)と結婚する。1409年にイザベルは一女ジャンヌを出産時に死亡した。
1407年に父ルイはブルゴーニュジャン無畏公に暗殺される。シャルルは1410年にアルマニャック伯ベルナール7世(ベルナール・ダルマニャック)の娘ボンヌと再婚し、また父の報復を図ってアルマニャック伯とともに反ブルゴーニュ派の貴族を再結集した(アルマニャック派と呼ばれる)。
1415年、イングランド王ヘンリー5世はこの内乱に乗じ、アジャンクールの戦いでフランス軍を破ったが、この時シャルルは多数の貴族とともに捕虜となり、イングランド各地、主にウィンザーパンティクラフトウィングフィールドで幽閉された。「獄屋の歌」をこの時期に記している。2番目の妻ボンヌはその間、1430年から1435年の間に死去している。
1440年、莫大な身代金を払って解放され、帰国後に無畏公の息子フィリップ善良公と和解し、善良公の姪マリー・ド・クレーヴ(1426年 - 1487年)と3度目の結婚をした。その後、フランスとイングランドの和平に奔走し、また1447年に母ヴァレンティーナの相続権を盾にミラノを攻略しようとしたが失敗した。1450年に政治から離れ、ブロワ城に隠棲した。隠棲後、最後の妻マリーとの間にルイ12世の他、マリー、アンヌの2女をもうけた。
== 子供 ==

* 最初の妻イザベル・ド・ヴァロワとの間の子供:
 * ジャンヌ(1409年 - 1432年) - アランソン公ジャン2世の最初の妻
* 2番目の妻ボンヌ・ダルマニャックとの間の子供はない。
* 3番目の妻マリー・ド・クレーヴとの間の子供:
 * マリー(1457年 - 1493年) ナルボンヌ子爵ジャン・ド・フォワと結婚
 * ルイ12世(1462年 - 1515年) オルレアン公、のちフランス王
 * アンヌ(1464年 - 1491年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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